桐の花が
咲えだら
あんずきィ 植えろ
って むがずっから いいますんがんす・・
これは、初耳であった。コブシの花が咲いたら畑仕事を始めるとか、ツツドリが鳴いたら種を撒くとか、いろいろあるけど、あずきは桐の花ね、なるほど。
**今、桐の花がさかんに咲いています。何を隠そう、わたし、桐の花がとっても好きなんです。記憶にのこる桐の花があまりに鮮明で・・・。久慈に来て間もなくの頃、あちこち車を飛ばして、桐の花を探し回ったことがありました。
なにしろ桐の花って県花じゃあ、ありませんか。あちこちいたるところにあるはずと安直に考えていた。それが無い。走れども走れども、桐の木が無いのである。久慈、野田、普代、田野畑、種市、大野、葛巻、そりゃあ、一本、二本はあるけど、わたしの想像する荘厳な桐の花がないのだ。
さんざん走り回ったあげく、旧山形村の関に迷い込んだ。
関といえば、もっとも山深いところの一つ。懐かしい風景が広がる。左手に川が流れていて、くねくねと曲がりくねった道は農家の庭先と一体になっている不思議な風情である。むかしながらの土壁の小屋も見える。
そして、ついに見つけた。山際の小高い丘に、桐の花が咲いている。横並びに何本あるのだろう。空を仰いで薄紫の花が咲いている。車からおり、農家の庭先を通らせてもらい、桐の木の下までもくもくと歩く。大きな木の下で、見上げると、桐の花の薄紫が青い空に吸い込まれそうに咲いている。ああ、わたしはこの花が見たかったのだ。
関の農家の庭先には、まだまだ桐の木が多く残っていた。今はどうだろう。あれから7、8年たっているので、山際の桐があるかどうかわからない。わたしの知るかぎりにおいて、桐の花の咲く里は、唯一ここですよ。どうか、右にならへで桜を植えるのではなく、桐の花の咲く里であってくださいと、願わずにはいられない。
<種まきが終わり草餅をつくる> 木売内の畠山さんちに寄せてもらって
木売内はけわしい山を一越えするとひっそりとある。隠れ里とでも呼びたい風情で
で、小豆だけど、木売内の畠山さんにこの話を聞いた私はこの日、がんばって小豆を植えた。(11日でっせ)
「ごんぼうかえばをもらったがら、あした、草餅つくるがなあ」と言うので、次の日さっそくお邪魔した。草餅を作るのははじめて。できたてのほやほやを食べるのもはじめて! ありがとうさんです!!
ごんぼうかいばは1時間以上煮る
水で2度洗う
しぼる
手でよく混ぜ込む
きれいに混ざって
二人で豪快に手づかみで食べた!う〜うまい!